当選祈願!選挙だるま誕生の由来について資料をもとにご紹介

当選祈願!選挙だるま誕生の由来について資料をもとにご紹介

だるまと言うと選挙の時に政治家の方が目を入れているシーンを思い浮かべる方も多いかと思います。

だるま自体は日本で初めて選挙が実施された1890(明治23)の衆議院議員選挙よりも昔から親しまれていました。

では、だるまはいつから選挙だるまとして登場したのか、今回は選挙だるまの由来ついて紹介します。

 

 

選挙だるまってそもそもどんなだるま?選挙だるまの定義は?

選挙だるまはその名の通り、選挙の時に当選を祈願して活用されるだるまのことを指します。

現在、選挙用のだるまとして使われているだるまは『必勝だるま』と言い、必勝だるまはお腹に大きく「必勝」の文字があり、「必ず勝つ」という想いを具現化しただるまです。

したがって、『選挙だるま』は選挙だけではなく、試合などの勝負事でも『必勝だるま』として活用されています。

 

必勝だるまのデザインは大きく2パターンあります。

①だるまのお腹に大きく『必勝』の文字が縦1行で書かれているデザイン

②『候補者名(オリジナルの文字)』を縦に書き、その文字を『必勝』で挟んだデザイン

 

基本的に選挙だるま=必勝だるまですが、この記事ではあえて『選挙だるま』と『必勝だるま』を使い分けて呼称します。

 

 

選挙だるま誕生の由来

初めて必勝だるまが選挙用のだるまとして作られたのは1955(昭和30)430日の高崎市議会議員の選挙の時、高崎のだるま職人によってでした。

候補者の役に立ちたいという想いから必勝だるまを作ったと言われています。

その時、製作しただるまはお腹に大きく「必勝」と書いた『必勝だるま』でした。

これが『必勝だるま』の誕生で、『選挙だるま』として必勝だるまが用いられた初めての選挙だと言われています。

 

 

選挙だるまが普及した理由

選挙だるまが普及したのは言うまでもなく、高崎のだるま職人の地道な営業の賜物です。

それに加えて、選挙だるまが登場した頃はテレビが普及しはじめた時期で、赤く大きな選挙だるまに政治家が目を入れているシーンは当時の人々に深く印象付けたのだと思います。

また、1977(昭和52)からは各だるま屋の生産体制が木型から機械成形に変わり、量産が可能になったことも選挙だるまが普及した理由の一つとして挙げられます。

 

 

だるまが選挙に初めて登場した記録

必勝だるまが誕生する前にも、だるまは選挙で姿を見せていました。その事例を2つ紹介します。

 

前橋の初市での呼び込み

だるまの収集家として有名な木戸忠太郎氏の“達磨と其諸相”という書籍によると、1928(昭和3)220日の普通選挙法実施後、はじめての衆議院議員選挙の時は競争がかなり激しかったそうです。

そのためか、高崎のだるま屋が同年19日の前橋の初市でだるまを『普選の神様』と名付け、「当選請負!」と勇ましい掛け声で客に呼びかけたそうです。

これを聞いた田舎の運動員は喜んでだるまを買って行ったという話があります。

おそらくこれが初めてだるまが選挙に使われた記録と言われています。

 

通常のだるまを選挙に活用

1930(昭和5) ※注1 の衆議院議員選挙に長野市で立候補した候補者の選挙事務所では、お腹に「福神」と金色で書いた高崎だるまを片目だけ開眼し、「当選したらもう片方の目も入れます」と書いた紙を貼って当選祈願をしていました。

その後、見事当選し、同年、26日の東京朝日新聞や221日の東京日日新聞に両目が入っただるまの写真が掲載されたそうです。

 

※注1:全日本だるま研究会誌『だるま』第三号に近藤正照氏が書いた「だるまの目入れは右が先か左が先か」によると1930(昭和5)ですが、JR東海のグリーン車専用の車内誌『ひととき』20018月号に武藤誠氏が書いた記事によると1928(昭和3) 220日という記載があります。

 

 

まとめ

選挙だるま誕生の由来は1955(昭和30)の高崎のだるま職人が製作した必勝だるまがきっかけになります。

選挙だるまが普及した理由はだるま職人の努力やメディアの発達、だるまの生産体制変化による量産化が考えられます。

また、必勝だるま誕生前からもだるまは選挙に姿を見せていて、1928(昭和3)の前橋の初市での呼び込みや、1930(昭和5) の長野の選挙でもだるまは活用されていました。

 

 

おすすめ記事