高崎だるまがまるわかり!だるまと高崎の繋がりを徹底解明

高崎だるまがまるわかり!だるまと高崎の繋がりを徹底解明

だるまと言ったら高崎だるま!高崎だるまは全国一のだるまの生産量です。

当店「だるまーと」で取り扱っているだるまも全て高崎だるまになります。

なぜ高崎の地はだるまの生産が盛んになったのか紐解いていきたいと思います。

 

この記事では「高崎だるま」に焦点を当てて説明しますので、「だるま」に関して詳しくは知りたいという方はこちらの記事を是非読んでください。

 

 

高崎だるまって何?

高崎だるまの特徴 

高崎だるまの特徴 

 ・眉髭:鶴は千年、亀は万年と言うように眉は鶴、髭は亀を表しています

・腹文字・肩文字:お腹や両肩に願いとなる文字を入れます

・袈裟模様:達磨大師が纏っていた袈裟を表しています

・目:願いが叶うよう目入れ(開眼)をします

・形:七転び八起きの丸。家庭や社会の円満を表しています

 

 

高崎だるまの定義

高崎だるまとは、高崎及びその周辺地域で作られただるまです。

「高崎だるまⓇ」は「群馬県達磨製造協同組合」が1つのブランドとして確立し、

平成5年には群馬県の「ふるさと伝統工芸品」に指定され、

平成18年には特許庁の「商標登録第5003697号」に登録されています。

 

高崎だるまの管理運営をする群馬県達磨製造協同組合

群馬県達磨製造協同組合とは、高崎だるまの製造販売元業者で構成された組合で、

「高崎だるまⓇ」の管理運用やPR推進などを主な活動としています。

2023年時点で組合員は50余店となっていて、2010年の組合調べでは高崎だるまは年間90万個生産されています。

 

 

高崎だるま誕生までの歴史

高崎でだるまが作られるようになったのは今から200年以上前のことです。

諸説ありますが、どのように高崎だるまが誕生したのか説明します。

 

縁起だるま発祥の寺、少林山達磨寺の開創

江戸初期(1680年頃)、少林山の前を流れる碓氷川が大洪水を起こし、香気を放つ古木が少林山に流れ着きました。

同じ頃、一了居士という行者が夢で達磨大師に「我が像を彫り祀るべし。木は鼻高(少林山辺り)にあり」と告げられ、見事な達磨大師像を彫りました。

この噂を聞いた前橋藩藩主の酒井雅楽頭忠拳が少林山を訪れ、1697年に寺院を建立し、少林山達磨を開創しました。

 

少林山住職による張子だるま伝授

江戸中期(1782〜1788年)天明の大飢饉の頃、群馬も浅間山の大噴火によって人々は困窮していました。

それを見かねた少林山9代目住職の東嶽和尚がお札に描かれていた一筆書きの達磨画を元にだるまの木型を彫り、

近郊に住んでいた山縣友五郎に張子だるまの作り方を伝授したと言われています。

 

高崎だるま生みの親、山縣友五郎

山縣友五郎は1793年に生まれ、若い頃は武州(埼玉)の人形店で修行をしていたそうです。

人形店で培った技術東嶽和尚に伝授された張子だるまの作り方、当時疱瘡除けとして人気を集めていた江戸だるま

これらが山縣友五郎の中で合わさり、1800年頃に高崎だるまは誕生したと考えられています。

 

 

なぜ高崎でだるまが発展したのか?

だるま作りに適した土地柄

上州独特のからっ風(乾いた空気)とおだやかな日差しの中で長時間乾燥され、あでやかな色とつやをはなちます。

また、群馬は富岡製糸場をはじめ、生糸を作る養蚕が盛んでした。

蚕(カイコ)は繭を作るまでに4回脱皮し、殻を破って繭を作る状態を「起きる」と言います。

七転び八起きのだるまと元気に起きる蚕になぞらえて、高崎だるまは養蚕の願掛けとしても扱われるようになりました。

 

昔から高崎で親しまれていただるま

文政12年(1829年)の「高崎談図抄」という文献に高崎田町の市でだるまを売る様子が版画と文章で残されていました。

当時の田町は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と謡われたほどにぎわっていたそうです。

この市は2017年から「高崎だるま市」として姿を変え、田町付近の高崎駅前で毎年1/1~2に開催されるようになりました。高崎談図抄

 

 

高崎だるまの作り方と材料

だるまが出来上がるまでには何工程も必要になります。

技術の進歩とともに生地作りなどで変遷がありますが、基本的には人の手で一つ一つ丹精込めて作られています

 

だるまが出来るまでの流れ

生地作り→へった作り→へった付け→胡粉掛け→色塗り→面胡入れ→目鼻口入れ→髭書き→文字入れ

※へった:だるまの重りとなる底の部分

※胡粉:貝殻を粉末にした白い顔料

 

高崎だるまの材料

だるまの主な材料は紙です。へったの部分は土、その他塗料や胡粉を使用しているシンプルな作りです。

だるまは昔から親しまれている工芸品だからこそ、SDGsにも則しているのです。

 

昔ながらの製法、張り子

昔は木型のだるまに手作業で一枚一枚、紙を重ねて貼り、天日乾燥させていました。

乾いた後にだるまの背を割って中の木型を取り出し、切れ目を膠(にかわ)で張り合わせます。

木製のだるまの型・張子生地 

 

大量生産のきっかけ、真空成形

現在、だるまの生地は真空成形という製法で作られています。

真空成形はまず始めに紙を水と溶剤で溶かし、ドロドロになった紙を水槽に溜めます。

その中にだるまの金型を入れ、コンプレッサーで水分を吸い出します。

ある程度生地が固まったら取り出して、天日乾燥させます。 

この真空成形の普及がだるまの生産量全国一に一役買ったと考えられます。

 

 

高崎で垣間見えるだるまのシンボル 

 高崎駅西口のオブジェ

高崎駅西口のオブジェ

 

高崎駅のだるま像 

高崎駅のだるま像

 

少林山

少林山

 

高崎だるま市

高崎だるま市

 

 

高崎だるまを買うなら

群馬の各だるま市

先ほど紹介した毎年1/1~2で開催の高崎だるま市で是非、高崎だるまを堪能してください。

高崎だるま市について詳しくはこちらの記事にまとめてあります。

もしくは、各地域で開催されているだるま市に是非足を運んでみてください。

高崎だるまは群馬県各地や周辺地域のだるま市で見つけることができると思います。

 

高崎だるま通販の「だるまーと」

当店「だるまーと」はだるま市をコンセプトにした、高崎だるま専門のネットショプです。

12種類のだるまを取り揃え、主要なだるまは19サイズ×12色のバリエーションがあります。

いつでもどこでもご希望に合っただるまを選ぶことができますので是非ご検討ください。

 

 

まとめ

高崎だるまは高崎及びその周辺地域で作られただるまで、「眉は鶴、髭は亀」の特徴があります。

少林山の住職や山縣友五郎の働きによって高崎だるまは誕生し、

群馬という土地柄や製法技術の進化が高崎だるまの発展のもととなりました。

 

 

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